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2014年3月 7日

クリエイティブ・マジック

2014030402s1ソチ五輪の興奮から2週間
フィギュアスケートは 今月末に世界選手権があることもあって、まだまだ 気持ち的に落ち着かない

私は 今なお浅田選手の演技を観ると 涙がでてくる

ある箇所で 浅田選手のあの日の演技を 

”圧倒的に美しい自然を目にした直後は その存在を認めるだけで精一杯で、すぐに全てを受け止めれない。 
あとから その美しさを少しづつ ありがたく思い出し 心に染み入らせていく”

という趣旨のコメントをみた。

私は まさに そのように 少しづつ心に刻みこんでいる日々を送っている
が、まだまだ 感情が先に崩壊して 涙、、、となってしまう。

片や、海外では 金メダルの採点に抗議を続けている国があり、フィギュアスケートの採点のグレーの部分があぶりだされつつある。

採点・ジャッジシステムの問題点を記事にしようかと思ったが、既に多くのブロガーが話題にしているので、そちらに お任せする
ただ 言えるのは 浅田選手のあの演技をもっても フリーで1位の得点とならなかったことに 今の採点の問題があると思う。

日本の解説者が口を揃えて 早い演技順を得点の伸びなかった理由にしているが、前日にキム選手が30人中の17番滑走にも関わらず ショートで1位の得点をだしているのだから おかしい。
それぐらいしか理由がつかない くらい おかしい ということだ。

と、愚痴はここまで

先日の記事で 2大会連続のトリプルアクセル成功や 6種類の8回のトリプルジャンプを着氷 の快挙を取り上げず ”浅田選手の演技を ショートの失敗でメダル圏外となったにも関わらず 諦めずに滑り切った というだけのメディアの論調に違和感” と記したが、 

関橋英作さんのコラムに 私が感じたこと(中国人のツィッター反応を含め) が的確に 語られている
後に読み返す時のために (ネット記事は後に消されてしまうことが多い) 自分用として 全文転載します

浅田真央は、世界にクリエイティブ時代を連れてきた 
(2014年2月26日(水) 日経ビジネスオンライン)

真央さんは、やっぱり天才であり続けました。日本という小さな国のアイドルなどではなく、世界中の人を変える才能をもっていることを証明したのです。

 今回の真央さんの演技は、多くの人に失望から歓喜という、とんでもない感情のジャンプを経験させました


オリンピックの意義って何だろう?

世界中の国が自国のメダル獲得に一喜一憂しているとき、もっと大事なことがあることに気づかせてくれたのです。オリンピックの意義って何だろう?スポーツって何だろう?そんなことが頭をよぎりました。

いちばん驚かされたのが中国の人たちの反応です。フリーを終えた後、中国ツイッターでは検索ランキング第1位に。

 「外国人選手の試合で初めて泣いた」「真のスポーツ精神とは金メダルをいくつ獲得したかではなく、自分を乗り越えて、自分に勝てたかどうか」「フィギュアはよくわからないんだけど、なんだかとても感動して、書き込んでいます」「これまでとは違った感覚がした。この瞬間に真に成熟したかのよう。大好きです」などなど、昨今の日中事情を考えるとあり得ないことです。違う何かが働いているとしか思えませんでした。

 もちろん、トップスケーターたちも即座に反応。プルシェンコさん「君は真のファイターだね」、ミシェル・クワンさん「一生忘れられない演技だった!」、などと感動のコメントを発信したのです。アメリカなどの海外メディアも同様で、中には涙を流した解説者まで現れました。NBCの解説者は「試合がどのような結果でも、このオリンピックで記憶に残るのは真央の演技だ」と。



メダル至上主義の舞台で異常事態

 判官贔屓や敗者へのカタルシスという見方もできますが、メダル至上主義のオリンピックという舞台でこの反応は、ちょっと異常事態。世界中がナショナリズムへと動きだしている現状とは真逆の流れです。

 それだけ、真央さんの演技にはスポーツを、国を超えたものが存在していたとしか考えられません。

 その正体は一体何でしょうか。私にはこれしか思い当たりませんでした。「クリエイティブ・マジック」。



人の心を動かすことができるのがクリエイティブ

 みなさんも、アート、音楽、映画、演劇などで感動したことがあると思います。それは、クリエイティブ・マジックにやられてしまった証拠。クリエイティブとは、人の心を動かすことのできる強力なエネルギーなのです。霊的なものと言ってもいいでしょう。

 たしかに真央さんのフリー演技は、採点上では上位二人に劣っています。フィギュアの採点項目は驚くほど細部にわたっていて、それをひとつひとつ積み重ねていく仕組み。技術点と演技構成点があるのですが、採点する側からすれば技術的なチェックに終始せざるを得ません。もちろん、公平にジャッジするという観点からです。

 逆に言えば、金メダルのためには観客よりジャッジのために演技するしかない。決められた技の基準の中でより優れたパフォーマンスをめざす。全体感はとても大事な要素ですが、それ以上に各論を確実にこなすことがより大きな得点につながりやすい競技と言えます。

 ですから、結果に対して観客から不満が出るのは、仕組み上しかたのないことかもしれません。感動より正確さが求められるのですから。

 人間が人間のパフォーマンスに点数をつける。どんなに目がこえていたとしても機械的にならざるを得ないのが、採点競技の弱点でしょう。もちろん、そのルールの中で戦っているわけですから、勝者にはその価値があることは言うまでもありません。

 しかし、スポーツは何のためにできたのか。競技のため?優劣をつけるため?能力を知ってもらうため?



民衆に畏怖と畏敬の念を起こさせるもの

 いえいえ、スポーツの起源は神様との交信。神様にお願いするために、とんでもない技を披露したと言われています。それは、芸能と全く同じこと。天の岩戸の前で、ほぼ裸体の格好で踊ったアメノウズメのお話はご存知の通りです。

 また相撲も神事でした。古事記に記述があるように、タケミカヅチとタケミナカタとの勝負が起源とされています。

 スポーツも芸能も、特殊才能を持つ者が行う神事であり、その才能を持つ者だけが神様と交信できると信じられていたのです。

 時代が下って、鎌倉後期から南北朝あたり。異類異形の輩が特殊な能力を活かして社会に跳梁跋扈していました。ある者は鳥のように舞い、ある者は疾風のように礫を投げ、ある者は祈るだけで病を癒し、ある者は産毛のような糸で布を織る。その有様は、人間業を超え、民衆に畏怖と畏敬の念を起こさせたのです。

 その能力を理解していたのが、かの後醍醐天皇。彼らこそ神様と交信する能力、即ちクリエイティブ・マジックの使い手であることを知り政治に利用していたのです。

 その異能者たちは、見るからに妙な姿をしていました。蓑笠をかぶる者、柿帷を着る者、鹿杖を突く者、高下駄を履く者など、常人とは違うことが一見してわかるように。

 つまり、異能者たちは誰とも違う見かけを持ち、誰もやらないことをやる。まさに、クリエイティブ・マジックを体現している人たちだったのです。

 舞う姿だけで世界の人たちの気持ちを動かす。真央さんの演技後、そんなことに思い当たりました。トリプルアクセル、全種類の三回転ジャンプ。誰もやらないことをやる意志と力。そして、それが結集した全く異なる姿。まさに、異形の女王ではないか。彼女は、スケートや技術の境界を越えたところにある“何か”に手が届いているのです
 それをこちら側の世界に持ってきて披露している。そうでなければ、プロもアマも、日本人も外国人も、すべての人が心動かされるはずもありません



「ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第2番」について

 また、使用した曲のラフマニノフ・ピアノ協奏曲第2番にもあちら側の気配が感じられます。ラフマニノフがこれを作曲したのは、極度の挫折の後。精神科の暗示療法によって七転八倒しながら作り上げたと言われています。

 この大地の響きのような曲と、両手で大きく大地の力を呼び起こすようなステップの振り付けが相まって、真央さんがまるでシャーマンのように見えたのは私だけではないでしょう。

 ソチ五輪の前の雪乞いでシャーマンが担ぎ出されたほど、ロシアもシャーマニズムの伝統が息づく国。振り付けをしたタラソワ・コーチもきっと意識していたかもしれません。真央さんの演技には、こうした要因が息づいていたのです。

 そう考えたとき、今の世界を変える力になるのは、「クリエイティブ・マジック」しかない。すべてが決められたルールや常識で動かされている世界。そのがんじがらめを解きほぐすのは、真央さんが見せてくれたクリエイティブなのです。

 このクリエイティブ、実はすべての人間に与えられている能力。人間が人間になるために獲得したものです。発揮されていないのは、ただ閉じ込めているにすぎません。その能力を解放するときが来ているのです。

そのために必要なのが、五感です。現代人は、視覚からの情報に支配されている。また、言語情報に依存しているので、脳ですべてを決めています。みんながカッコイイと言えば、そう思うし、三つ星レストランのだすものは、おいしいと思ってしまう。ランキングや誤表示問題などは、その典型でしょう。

 空を眺める、風を感じる、何かの気配を察する。目をつむって食してみる、訳のわからないものに触れてみる。そこから、自らの五感が動き出します。

 そうすることで、目に見えないものを感じ取って、目に見えるようにすることができる。実は、人間の進化はそうすることで増幅してきました。科学も経済も、そして社会全体も。

 これからは、ますますその力が求められるでしょう。目の前のものは明らかになってきました。向こう側にあるもの、まだ見えないもの。それを感じ取ることができれば、人間は元のように人間らしくなれるのかもしれません。

 それによって、戦うより共に喜ぶことが当たり前になるでしょう。今回の真央さんは、そんなクリエイティブ時代を引きよせてくれた、と強く思いました。 
(転載終)

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